働くのは嫌いで休みは好きだが暇すぎて悩む

労働。人間は生きる為にこの道を通らなければならない。今の日本、労働をせぬ大人はニートと呼ばれ社会の異端分子のような扱いを受ける。

 

私は働くのが好きではない。いや、働くのが好きな人間はごく一部に過ぎないと思う。

人間は余暇を埋める為に労働して金を稼いできた。今は技術が進歩して機会がコンピュータが人間の労働を肩代わりしてくれる。

 

人間には暇な時間が増えすぎだ。しかし、時間は有限だ。この暇な時間をどのように使うかにして人生の価値が変わる。

 

私は今、ベットに寝転がりながらこの文章を書いている。この行為に意味があるか、ないかは人によって変わるだろう。

 

私は最近、バイトを始めた。バイトなると憂鬱になる。バイト自体が嫌いなのではなくて、バイトで発生する人間関係が嫌いなのかもしれない。

 

また、新しい事に挑戦する不安に押し潰される事が多い。それほど私のメンタルはお豆腐なのである。

 

バイトを嫌な行為。そう思ってない人はバイト疲れはするものの苦では無くなる。

「今日、バイトか。金稼ご。」くらいの気持ちで臨むことが出来るだろう。

 

しかし、私は先の事を考えすぎてしまい不安に駆られどんな状況であっても顔が死ぬ。

楽しい一時でも、「お前、顔死んでるよ笑」と

言われる時がある。

 

チベットスナギツネの様な顔をしながら私の頭の中はバイトの事でいっぱいいっぱい。

 

「人間は考える葦である」と言う言葉がある。

考える事は人間に進化をもたらしてきたと思うがその分、考えすぎて進化を止めてしまう事もあると考えた。

 

ポケモンみたいに決まったレベルでしっかりと進化出来たらいいのに。今年、20歳を迎える私は未だに4番道路の草むらの中。

 

2〜4レベのノーマルタイプ。私の後に産まれた未来ある若者。御三家にボコボコにされるだけ。

 

あぁ、はかいこうせんでも撃ってそこらじゅうを破壊したい。

自暴自棄ではありません。これが私の正常です。ちなみに成城石井には行った事は無いです。

 

 

 

 

妖怪 泥まみれ

私が小学生低学年の頃、今は住宅地の場所が田んぼだった。その田んぼではおたまじゃくしがよく取れるので夏休みに近所の友達とおたまじゃくしを取りに出かけた。

 

リアル僕の夏休み。子どもの頃の夏といったら虫などを捕まえに行くことだろう。

 

田んぼの広さは大きくて、田んぼのあぜ道に降りるにはフェンスを超えなくては行けなかった。

 

軽々と飛び越える友達。自分も運動には自信がある。フェンスを飛び越えるくらいなら全然出来る運動能力を持っている。

 

飛ぶ自分。  フェンスに足をかけて飛び越えた。

 

見事に着地!!!!

 

と思ったがフェンスを超えたあぜは急斜面になっている。そこで足をくじき、私は態勢を崩した。

 

「や、やばい!!頭から田んぼに落ちちゃう。汚れたらお母さんに怒られる。」

 

近くの雑草を必死に掴んで落ちないようにする。しかし、スルンっと雑草がぬける。

 

見事に頭から田んぼへDIVE。全体が泥まみれに。だいだらぼっちが誕生した。

 

泥まみれの私は一気にテンションが急降下。TTポーズでもしてしゅんです。とでも言った方がいいのかもしれないがその頃は少女時代やKARAの時代だろう。

 

私は仕方なく自転車を手で押しながら町中を歩いた。駅前も通らなければ行けなかったので駅前を歩いていると近くの交番の警官に

「あははは。お母さんに怒られるぞぉ〜」と

言われた。

 

恥ずかしくて。恥ずかしくてたまらなかった。そして私は将来は警官になる事を決心して、こうして今は警察官の中でも役職は上の方になった。私を笑った警官を地方に飛ばした。

 

なんて妄想を膨らませている場合ではない。

私はまだ、大学生だ。

 

帰った後は庭の水道でふるちんになりながら体を洗った。この時に外で裸体を晒す快感を覚えた。

 

そして、高校生の頃に裸体を晒したまま、町中を歩いたので捕まった。

 

なんてまた変な妄想を膨らませている場合ではない。まず、捕まりたくもないし、裸になりたいとも思わない。勘違いしないで欲しい読者には。

 

でもこんな事を躊躇いもなく言えるのが私だ。

 

黄昏少年

私はよく黄昏れる。景色を見るのが好きだから。周りからぼぉっとしている。何を考えているのかが分からないと言われる。

何も考えてねぇ!!!

 

女子に「○○また黄昏てる」と言われた事もある。

しかし、それだけだ。

おいおい。そこで終わりかよ。そこから何か始まらないのかよ。

 

おい、俺。少女漫画や青春映画の見すぎだ。何もないのが当たり前だよ。

 

ここで私は疑問を抱く。本当に何もないのか?私が部屋に引きこもって1日を無駄にしたと嘆いている間にも日本のどこかで

黄昏てると女子が男子に言ってから恋の歯車が回り始めているということがあるのではないか?

 

その場にいない自分を哀れに思う。当事者にならなくてもいい。当事者になりたいのはやまやまだが、当事者たちのとりまき(重要な脇役)辺りでいたいという気持ちがある。

 

この日本にもし、ドラマや映画のような恋を送る少年少女たちがいるのならば見てみたい。

 

それかそのような青春時代を送った大人の方たちのお話を聞いてみたい。

 

 

 

 

 

 

妄想独走最前線

私は妄想が得意です。よく、暇な時に頭の中で妄想をして物語を作っている事が多かった。

 

あまり、緻密に物語は練られてはいない。設定は結構ガバガバ。設定をしっかりとして妄想する方も少なくないだろう。しかし、私は即座に即興でガバガバでも作るタイプだ。

 

学校にいた頃はよくヤンキーが学校に乗り込んでくる妄想をしていた。教室で授業を受けている時もあれば全校集会の時に乗り込んできたりと場面展開はたくさんあった。

 

とにかく妄想の中の自分は喧嘩が強い。だからこそ現実に戻った時に錯覚しやすいのだ。まさに厨二病

 

しかし、いきったりはしない。あくまで平然としている。喧嘩をする事になったら喧嘩が強くなっていると過信している分、一瞬で相手にボコられるだろう。

 

特に私の妄想での得意分野が青春学園物語である。こんな事をして理想が高いから彼女が出来ない=年齢になるのだと思う。

 

もうすぐで20歳だ。20歳で彼女もいた事がない。小学生の頃のフォークダンスや中高の何らかの授業やイベントで必然的に手を繋ぐことがあってもプライベートでは手を繋いだことがない。

 

私は全力で土下座して親に謝りたい。申し訳ないと。泣きながら

「実は  彼女 できだごどねぇーんだぁ!!泣」

と言いたい。物凄く惨めである。

 

青春学園物語だがとにかく可愛い子がたくさん登場する。自分が好きな女優さんやアイドル。

その時々によって登場する人達は変わってくる。

 

シチュエーションもたくさん存在する。

私は海の見える学校や田舎にある学校が好きなのでそこを舞台にする事が多い。

 

内容は冴えない女の子を登場させたり、始業式の前にばったりあった女の子、図書室にいる文学少女、君の膵臓をたべたいの宮内 桜と志賀春樹のような関係性、先輩や後輩の美少女。

 

思いつくだけでもたくさん存在する。

 

自分でも豪語するが

うん、キモイ笑    盛大にキモイ笑

 

それをまた文章にしてブログにして見ず知らぬ人達にも告白している。

 

みたまえ、世の少年少女。大人たち。

                      これが私だ。

皆さんが恋をしようと、働いていようと、何をしていようともこの私はこの世に存在している!!

 

私を笑ってください。私をみて、生きる活路を見出してください。あなたの方がきっと価値がある人間です。

 

生きるのが辛い事もあるでしょう。でも、もしその辛かった状況をいつか楽しく、面白おかしく人に話せるようになったらきっと貴方は幸せです。

 

人生はネタ探し。

 

私を変な奴がいると言う話題にたくさん使ってください。道具として使ってください。馬鹿にしていいんです。それで誰かとの会話が生まれるなら。

 

いい事にもっていってうまく終わらせようとしている様に見せかけて私はそれを全潰しします。

 

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多分いま、あなたはゲシュタルト崩壊に陥っています。

あなたも妄想をしましょう。現実逃避です。

現実との折り合いがしっかり着いていれば妄想をしても大丈夫なはずです。

 

浜辺美波をヒロインにするのもよし、アニメキャラと過ごすのもよし。

 

だから最後に言わせてください。

 

 

 

「君の膵臓をたべたい」

 

 

 

 

 

自信が持てない人間

私は自己肯定感が低い。自信も持ち合わせていない。

 

いつも、何かを始める前に悩みすぎてしまい始める事が出来ない。考えすぎる性格を持ち合わせている。

 

私のように臆病で何か物事を始める時に悩んでしまって、なかなか一歩を踏み出せない人は世の中にたくさんいるだろう。

いないとは言わせないぞ?

 

自信を付けたい。変わりたい。そう思うのが人間だと思う。

 

私はそのため、自己啓発本などを読み始めた。

「折れない自信の作り方」、「幸せに生きるには」のような題名の本である。

 

しかし、読んだだけでは何も変わりはしない。

読んで行動に移さなければいけないのだ。

 

結局は行動に移らないと何も始まらない。と言うのが結論である。後は、自分には価値があるや自分には自信があるように振る舞えなど。

 

私が思うにこのような本を読んでいる方たちは(私を含めて)行動が起こせないのに悩んでいるはずだ。なのにどの本にも行動に移すことが変わる近道だと書いてある。

 

少しだけでも心を軽くする事や一時的な自信を手に入れる事は出来るとは思う。しかし、一時的だ。時間が経てばまた、不安に押しつぶされるし、自己肯定感が下がっていく。

 

行動が移せないと悩んでいるのに行動に移すことが最善と言われるのは別に解決策が提示されたとは思わない。

 

世の中は栗松のように自分に自信がない人間よりも円堂守のようにがつがつ進んでいく人間の方が楽しめるだろう。

 

行動力の化身を化身アームドする事が出来ればと願う私。しかし、化身は居ない。

 

結局はどうであろうと行動に移した者が変われるのだ。

 

しかし、私は全く行動に移せない。今の状況に甘えている。私は不動明王だ。動かない。ただ、佇んでいる。その私を周りの変化した人達は何も変わっていない珍しい銅像だとジロジロ見てくる。そしてこう言うのだ。

「なんも変わんないね。なんか、魅力ないし、つまらないね。この銅像。」

 

なんてこった。お前ら覚えてろよ。

片手だけじゃ祈れね〜とでも?音を置き去りにするようにお前らも置き去りにしてやる。

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エンストの神

今週のお題「告白します」

 

私は車の運転が不得意な事を告白します。

 

免許は友達2人と山形の方まで合宿に行って取得した。私以外の2人は車やバイクが好きな少年である。2人とも車の運転にうきうきを隠せていない。私と言えば常に緊張を持ちハラハラしている状態だった。

 

免許を簡単に取りたいならばATだろう。しかし、私は親にMTを取れと言われていた。マニュアル車マニュアル車にはエンジンにブレーキ、そしてブレーキの隣にあるものが着いている。クラッチと言うらしい。

 

クラッチ?私はその言葉をONEPIECEニコ・ロビンの技でしか聞いたことがない。

 

2週間の地獄の教習は始まった。案の定、エンスト地獄。毎回エンストをしてしまうのでエンストからの立ち直りが異様に早くなり、私はエンストの神になった。

 

教習所内にはL字やS字クランクがそんざいする。私はそれがどうも苦手で何回やっても上手く行かなかった。他の2人は余裕の面持ちですらすらとL字やS字クランクをクリアする。技能で私は2人とどんどん差が開いていったのだ。

 

泊まっている宿に戻ると2人はTikTokを見て、可愛い子を探し

友1:「この子可愛くない?」

友2:「いや、可愛くねーだろ」

と品定めをするような事をしていた。

私と言えばYouTubeでS字クランクやL字やり方。クラッチ発進などと調べてひたすら動画を見返していた。

 

仮免は何とかミスなく合格した。

 

次に路上教習に入った。初めての路上。ミスをしたら大惨事。私は毎講習、命の危機と戦っていた。

 

脳内の中ではワイルドスピードのような運転捌きを想像していても現実は公道で40キロを出し、とぼとぼ走って安全運転。

速度が早すぎると隣の教官に

「ちょっと早くね〜かぁぁ?法定速度何キロだ?標識みろ〜」とやる気のない感じで言われ、「よ、40です」と答える。そして沈黙。

 

ポく。ポく。ポく。チーん。

 

教官が毎回変わるのでいわゆる教官ギャンブル。私は若い男性の教官を2人乗せたがその2人ともにいきなり面白い話をしろと言われた。

いきなりのキラーパス。無茶ぶり。私はその無茶振りに必死に応えた。

 

話は変わるがある時は車の運転席をスライドさせるレバーをぶち壊した事もある。

私はクラッシャーだ。物をよく壊す。

 

色々あったが無事に合宿は卒業できた。免許も取得できた。

 

しかし、ここからが問題であった。もちろん家にはマニュアル車が存在しない。存在するのはオートマ車だ。

 

マニュアル車に乗りなれていた私はオートマ車に最初は苦戦を強いられた。しかし、乗る度に徐々に慣れていった。

 

慣れ始めた頃だった。私は家の門で車のフロント部分に傷をつけたのだ。その日は友達と少しの遠出をしようとしていた日。一気に私は顔面蒼白。テンションは天から地に落ちた。

 

この後もミラーを2回ほど門で擦って傷をつけた。

 

つい最近には狭い道を走っている時に対向車線の車のミラーと私が運転している車のミラーをぶつけた。

ぶつけた相手はプリウスミサイルである。

ぶつかる瞬間にスローになったのを感じた。スローになるならもっと他の時にしてほしかったと思う自分がいる。

相手側のプリウスはそのまま走り去ってしまった。戻ってくるだろうと思い、待っていたが戻ってくる気配はない。私の車のミラーはまったく気づ付いていなかったのでそのまま帰ってしまった。

 

そしてプリウスミサイル事件よりも最近は2回ほど車を擦っている。しかし、傷はつかなかった。運良くフレーム部分ではなくフレームで隠れている見えない部分がぶつかっていたらしい。

 

車に傷をつけるのもあれだがいつ、大事故を起こすか心配で仕方がない。

 

私は判断力が鈍いので信号が黄色から赤に変わるタイミングで横断歩道付近にいる時、そのまま突っ切るか止まった方が良いのかの判断が遅い。交差点に差し掛かっていて止まると危険な時はそのまますり抜けた方がいいのだがたまに変なタイミングでブレーキをかけてしまったりする。

 

いつか友達を乗せて事故に遭う危険性もあるので注意⚠️する必要性がある。

 

もし危ない時は誰々とチューニングの誰々をシンクロ召喚

集いし願いが、新たに輝く星となる!光差す道となれ!シンクロ召喚!飛翔せよ!スターダスト・ドラゴン!と叫びながら最後を迎えるしかない。

 

 

 

 

 

 

YUIのチェリーがエンディングで流れたら確定演出

皆さんはReLIFEというアニメを知っているだろうか?

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無職で20代後半の海崎新太という男性がある日、ReLIFE研究所の夜明了という男性に「ReLIFEをしてみないか?」と声をかけられ、薬を使って体を高校生の見た目にして高校生活1年をもう一度送るというお話である。


このアニメは実写映画化、文庫本か、アニメ化している。実写映画化では主人公の海崎新太を中川大志さん、ヒロインの日代千鶴を平祐奈さん、夜明了役を千葉雄大さんが演じている。


私が好きなのは漫画とアニメだ。ReLIFEは映画、漫画、アニメで少し内容が違っていて3つの楽しみ方が存在する


この物語、とにかく日代さんの可愛さに悶絶する人が続出するだろう。人との付き合い方が上手ではなく、感情を表すのが苦手で鈍感な日代さん。彼女が物語を進める事に成長をしていくので読者はしらずしらず親目線で彼女を見てしまうだろう。


もう一つこの物語の魅力を伝えるなら海崎新太の言葉の数々だ。

一度、高校生活を体験して大人になっている海崎だからこその視点が沢山盛り込まれている。


後悔した後にあの時が凄い大事な時間だったのだと気づく。

その時は面倒臭い、つまらないなどの感情があるかもしれないが大人になった時にその時を思い返してみるとなんでもっと楽しまなかったのか?と後悔をするだろう。


私は高校生活を送っている時、つまらない。早く帰りたい。という気持ちを持って過ごしていた。しかし、高校生活が終わってから振り返ってみるとあの時の時間はあの時にしか存在していなくて、時間の価値というものが違う事に気づいた。


おい、世の男子たち。女の子と同じ空間にいても何も言われない。授業で必然的に話せるのが用意されているんだぞ!!

その機会を無駄にしていいのか?


お前が教室の隅で本を読んでいても話しかけてくれる陽キャ女子は居ないし、図書室には文学系女子はほとんど居ない。

病院に行っても病を抱えたクラスメイトに会うこともない。

夢を想像するのは悪い事じゃない。でも、現実との折り合いをつけないと何もイベントは発生しないぞ!!


話がだいぶそれだが私は最近、ReLIFEのアニメを見た。地上波で放送されていたReLIFEのアニメは高校生の頃に見ていたがReLIFEのアニメは途中で終わってしまうので話が完結する事はない。

しかし、ReLIFE完結編というアニメが収録されたDVDが発売されており、私はその収録されている全4話を見た。


地上波の続きから物語の終わりまでが描かれている。しかし、省略してる部分などもあるのでそこは漫画で存分に楽しんで欲しい。


DVDに収録されている完結編は1話1話のエンディングが違う。2話のエンディングでYUIのチェリーが流れた。

その瞬間、体全体がゾワゾワする感触に襲われた。恐怖ではなく興奮、感激の感情だ。


YUIチェリーは小さい頃、よく母の車の中で聴いていた。YUIの歌声は美しく唯一無二の存在だと思う。彼女が前線を去った後様々なシンガーソングライターの曲を聴いてきた。


miwaなども好きだけれど私はやはりYUIを忘れられない。YUIはFlowerFlowerというバンドでまた活動をしているがあの頃のYUIはもう存在しない。

しかし、あの頃に作った曲というのは今現在にも存在している。


チェリーがエンディングで流れた。しかも好きなアニメのエンディングで。歌詞の内容、物語の内容もある程度マッチしている。

YUIのチェリーはその作品を高めてくれる。もちろんReLIFEもいい作品だ。しかし、私はこのチェリーがかかった途端に拍車がかかり、このアニメやるなぁァァァ

という気持ちが溢れ出てきた。


つまり、好きな曲が好きなアニメ、ドラマ、映画に使われると人は感激のゲリラ豪雨に見舞われ、感謝感激雨あられのマシンガンを吐き出して幸せホルモンを分泌しまくって幸せになるのだ。